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誕生日と多世界、青い森にて

思い出がいっぱい ~「誕生日」と「多世界」~


地球は365.2422日で太陽のまわりを一周する。現在日本を含む多くの国で採用されている「太陽暦」(グレゴリオ暦)では、365日を「1年」とし、原則として4年に一度閏日をもうけることで、小数点以下の誤差を調節している。この「1年」は12の「月」によって構成され、それぞれの「月」は28から31の「日」によって構成されている。一個の人間が感得し得るスパンで考えたときに、地球の自転周期も公転周期も今後ほとんど変わらないと言ってよいし(自転周期は微細な範囲で変化しているようだが)、太陽暦の使用は今の文明が続く限り遂行され続けるだろう。その限りにおいて、自分が生まれた「年月日」が特定されていれば、「生まれてからちょうど何年/何ヶ月/何日」と数えることができる。「誕生日」は、自分が生きてきた時間を、地球と太陽との関係性によって区切る節目であり、その意味で、この宇宙/世界と「私」との共生の実感を、古来より喚起させ続けてきた記号であると言える。

だから「誕生日」は、この宇宙/世界に生まれた「私」の運命そのものにも、深い関連を持つと考えられてきた。これは、占いという制度化された枠組みに拠らずとも、人間にとってほとんど本能的な思考の道筋だろう。例えば、ある僕の知り合いは、広島に原爆が落ちたのと同じ8月6日に生まれたことで、自身の運命が呪われたのだと考えていた。降り掛かる数多の災難は、「8・6」の呪縛なのだと。

そういったあまり「縁起の良くない」日付に生まれた人は、当然世界中に多くいるだろう。今一番リアルな例で言えば、9月11日を誕生日とする人々。あのアタック以来特別な意味を背負わされている「9・11」に生まれた彼らは現在、何を思って誕生日をむかえるのか。案外普通に、楽しくケーキを囲んでいるのかもしれないけれど、そのパーティの間も、彼らの脳裏の片隅には、あの出来事の影が差し続けるのではないだろうか。

僕は1978年4月19日に生まれた(らしい)。幸か不幸か、何の変哲もない日付である。重大な事件もなく(たぶん)、クリスマスでも、正月でも、閏日でもない。生誕の地は青森県青森市である。2歳半の時に仙台に転居するまでそこで育ったらしいのだが、青森でのことはまったく覚えていない。仮に何らかの記憶が奥底にあるとしても、表層意識に現れたことはない。

「連続する記憶」のほころびは、「自己」という蜃気楼を拡散させる。生活圏の移動による地理的な断絶が伴えば、このことはより如実になる。このような「自己」の蜃気楼性、その「連続する記憶」への依拠性は、しかし、自己意識という牢獄から一瞬解き放たれるための、ひとつの抜け道だ。本当に僕は4月19日に青森で生まれたのだろうか?本当にそれは「この僕」なのだろうか?アイデンティティの在処を求めるためではなく、解放の清々しさをほんの一瞬呼吸するために、このような陳腐な問いを僕は呟くのだ。


話は飛ぶが、「多世界解釈」という世界観がある。それは、SFの世界の物語でも、絵空事でもなく、量子力学(微視的世界)と古典力学(巨視的世界)とを統合させる、ひとつの物理学的なパースペクティヴだ(もちろん異論はあるようだが、最もシンプルに両者を統合できる考え方であることは確かなようだ)。それによれば、ひとつの粒子が、複数の場所に同時に「存在」できるのも、「コペンハーゲン解釈」における「粒子の波としての振る舞い」による重ね合わせなのではなく、世界が、ありうる可能性の数だけ枝分かれし、その無限に分裂し続ける平行世界において、無数の実在が「現実に」「存在」するからなのだという。「僕」が今左足を踏み出した世界と、右足を踏み出した世界があり、「僕」が今左手をあげながら右足を踏み出した世界と、右手をあげながら右足を踏み出した世界があり、「僕」が今東京に住んでいる世界と、青森に住んでいる世界があり、そして当然、「僕」が生まれていない世界や、既に死んでいる世界があるのだ。こういった無数の平行世界のうち、たったひとつを、「この僕」は生きる。

では、「僕」が「僕」として存在しない世界は、「この僕」と何の重なり合いもないのだろうか?

否、「僕」を構成するすべての粒子は、この宇宙の誕生直後から存在し続け、ただその姿や振る舞いや位置を変え続けているだけなのだから、例えば世界Aで「僕」を構成している粒子が、世界Bでは別の人間の一部、犬の一部、樹木の一部、岩石の一部、空気の一部…等と分散している、という状況が考えられる。つまり、「僕」としての形態が存在しない世界はあるとしても、本質的な意味における「僕」がいない世界などというものは、「多世界解釈」によっても存在し得ない。

「多世界解釈」は、「この僕」という事態が、そういった無数の可能性のうちのひとつに過ぎないことを示す。けれども同時に、「僕」が全ての平行世界の成分であること、そして、ここにいる「この僕」が生きるスカスカの人生が、瞬間瞬間に無数の平行世界と分節しながらも、そのどれでもない「この」人生であり続けていることの奇跡を、逆説的に照らし出す。


先日、23年半ぶりに、生まれ育った(らしい)住所を訪れてみた。かつてこの身を置いていた事実がありながら、実感としては一度も行ったことがない場所。そこで26回目の誕生日(2004年4月19日)を過ごした。青森駅からバスに乗って30分ほどの、何の変哲もない住宅地だった。小さな用水路というか小川のようなものが二つ交差していて、その内側にひしめきあう家々のうちのどれか一つが、かつての僕の家であるはずだった。今通り過ぎたおばあさんと、23年半前にもすれ違ったのかも知れなかった。広い車道を車が次々に流れていく。母がアキレス腱を切って入院したらしい病院も見つけた。近くには海があって、その砂浜とつながった大きな公園があって、たくさんの家族連れがいた。東京より少し寒かった。

当然ながら、2歳半の「僕」と会うことはできなかったし、ましてや、青森から仙台に移った瞬間に枝分かれした「僕」のうちのひとり=青森で26年間生きてきた「僕」を見かけることもなかった。当たり前の話だ。もちろん、それでいい。もともと、デジャ・ヴを感じて失われた記憶を取り戻す可能性や、何かの拍子に過去の自分が浮かび上がって来る可能性に期待などしていなかったし、自らの「ルーツ」をこの眼で確かめ、そのことで生の輪郭を掴み直したいという欲求もなかった。ただただそこに何もないこと、「この僕」が、「今も青森に住む僕」と同様に、何でもなくて、単なる粒子の固まりの、しかもあらゆる可能性のうちのひとつの表れに過ぎないこと、けれどだからこそ、唯一無二の「この」生を生きていること、それが確かめられればいい。僕は彼と出会うことはない。それでいいのだ。

2004. 4. 26 奥村雄樹

2008.3.17 追記:実は、粒子は真空からランダムに生まれたり消えたりするらしい。だから上で言ってることは実情と合ってないっす。うーむ。


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